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本格焼酎と泡盛
春秋謳歌 -南からの焼酎便り-
   
- 第4回 -
第4回 焼酎の「道」
 国技と言われた大相撲が揺れている。吉葉山の華麗な土俵入り、栃若の躍動感溢れる時代、柔と剛が争った柏鵬時代、小よく大を制した鋼鉄の千代の富士、悲壮感漂う寺尾、どの時代も美しかった。格闘技の中に日本的美があった。敗者の美学があった。日曜日の大相撲となると、テレビ桟敷にくぎつけになって刺身を肴にダレヤメ(疲れ休め:晩酌の意)を楽しんだものである。
 今は外国人力士が国技を乗っ取り、日本人力士は飛んだり跳ねたり、賑やかなのは土俵の外だけ、これでは酒の肴にもなりはしない。別に外国人力士が悪いわけではない。問題は相撲がきわめて日本的な、日本人のための競技であったことを忘れてしまったところにある。柔が柔道になり、相撲が相撲道となるのも日本人だからこそである。勝ち負けよりも勝ち方、負け方が「道」を作っていた。国際柔道も大相撲も日本の美しい競技を世界に知って貰いたいと広げたまでは良かったが、肝心の伝えるべき世界が伝わらず、かえって本家の方が変質してしまって、魅力の根源をなしていた柔道らしさ、大相撲らしさを失ってしまうという皮肉な結果に陥ってしまった。

 人ごとではない。この「らしさ」は酒の世界でもきわめて重要である。本格焼酎の衣をまとった甲乙混和焼酎が出回り、甲類焼酎に原材料表示が始まった。
日本人に生まれて良かった
日本人に生まれて良かった
柔道がジュードーになったように、焼酎がショーチューになりかねない。 だが、慌てることはない。もはや「しょうちゅう」の中に甲類、乙類があるのではない。酒税法でも連続式蒸留焼酎と単式蒸留焼酎に明確に区分された。市場の拡大は画一化の道を辿り、多彩な文化の喪失を招きがちだが、本格焼酎はその「焼酎らしさ」を失わないからこそ市場に受け入れられてきた。それは、本格焼酎に日本的世界がぎっしり詰まっているからに他ならない。この世界が本格焼酎にとっての「道」である。
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