西暦 和暦 時代 事項
BC300〜200頃 縄文
弥生
大和
水稲の渡来〜米麹利用による米の酒造り始まる(推定)日本の米の酒のはじまり
AD250頃 「魏志(ぎし)」東夷伝に「倭国の酒」の記事
400頃

「播磨国風土記」に「清酒(すみさけ)」の記事 清酒の初見

689 持統3年
浄御原(きよみがはら)律令に宮内省造酒司(さけのつかさ)に「酒部(さかべ)」を組み入れる。
715 和銅8年
久慈の味酒(あじざけ)の名きかれる(「常陸国風土記」)
717 養老1年 美濃国より貢献した醴泉で、醴酒(れいしゅ)を造る(「続日本紀」)
730 天平2年 この年以降、諸国「正税帳」に清酒(紀伊・周防)、古酒(こしゅ)(摂津・周防)、酒糟(しゅそう)(和泉・但馬)の名が見える。そのほか浄酒(すみざけ)、濁酒(だくしゅ)、粉酒(こざけ)、白酒(しろざけ)、辛酒(からざけ)などの名も見られる
734 天平6年 尾張国から酒料として多量の赤米を大炊寮に献進(「尾張国正税帳」)
748 天平20年 「万葉集」に能登国熊来(くまき)の酒屋と詠われる(酒屋の初見)
752 天平・勝宝4年 「万葉集」に黒酒(くろき)・白酒(しろき)の名見える
762 天平・宝字6年 「銭用帳」に粉酒の製造歩合の記事
770-80 宝亀年間 讃岐国美貴郡の官人の妻、酒に水を割り販売(「日本霊異記」)
878 元慶2年
酒税を徴収する
911 延喜11年 亭子(ていし)院の酒合戦(「本朝文粋」)
927 延長5年 「延喜式」選進され、宮内省造酒司の御酒糟の造法明らかにされる
1233 天福1年
寺院で酒造りが行われていたとの記事(「金剛寺文書」)
1252 建長4年 沽酒(こしゅ)禁制、鎌倉の民家の酒壺3万7274口を破棄、諸国市酒の停止
1420 応永27年


幕府、禅僧の飲酒、寺庵内への酒持込み禁止
1425 応永32年 洛中洛外の酒屋342軒を数える
1432 永享4年 河内・天野酒の初見(「看聞御記」)
1444 文安1年 文安の麹騒動後、麹座の制度崩壊する。菩提泉(ぼだいせん)(山樽(やまだる))、大和多武峯(たふのみね)酒、越前・豊原( ほうげん)酒、近江百済寺酒、河内・観心寺酒など僧坊酒が台頭
1466 寛正7年
筑前博多の練緯(ねりぬき)酒の名が見える(「蔭涼軒目録」)
1468 応仁2年 豊後の練貫(ねりぬき)酒の名見える(「碧山目録」)
1474 文明6年 宮中で十種酒・十度飲催される(「親長卿記」)
1469〜87 文明年間
兵庫、西宮の旨酒、加賀の宮腰酒、堺酒など京都市場へ進出

1534 天文3年 「陳使録(ちんしろく)」に琉球の「清烈而芳」という南蛮酒(泡盛)の名が見える
1557 弘治3年 伊豆・江川酒、河内・平野酒など台頭
1569 永禄12年
「多聞院日記」に「酒ニサセ了」とあり、酒の火入れ殺菌の初見
1578 天正6年 「諸白(もろはく)」の名初めて見える(「多聞院日記」)それより以前大和・正暦寺で諸白の創製



1582 天正10年 奈良で十石入り酒桶使われる(「多聞院日記」)
1598 慶長3年 豊臣秀吉、洛南・醍醐で花見の宴を催し諸国の名酒を献上させる(「甫庵太閤記」)
1619 元和5年 泉州堺の商人、大阪より木綿・油・酢・醤油などと共に酒を積込み江戸に回送(菱垣廻船の始まり)
1644-48 正保年間
大阪廻船問屋、酒荷だけの積切りで回送(樽廻船の始まり)
1648 慶安1年 川崎・大師河原の酒合戦(「水鳥記」)
1657 明暦3年 初めての酒株を設定し、免許者に限り酒造を許す
1667 寛文7年 伊丹の寒造り、十石仕舞、三割麹、六水
1673 延宝1年 寒造り以外の醸造を禁ず
1687 貞享4年 「童蒙(どうもう)酒造記」成る 伊丹で、諸白への柱焼酎(諸白もろみへの焼酎添加、あるいは焼酎混和の初見)(「童蒙酒造記」)
1698 元禄11年 幕府の調査で、全国の醸戸数2万7251戸、酒造米高90万9337石、醸造石数高91万9839石となる
1724 享保9年 江戸下り問屋調査の際灘目、今津郷の名見える(文献上、灘の名は正徳6年すでに現わる)
1738 元文3年 新酒一番船の江戸入津は積切り15艘限りと定める
1740 元文5年 伊丹の剣菱、将軍御膳酒に指定される
1785 天明5年 諸国酒造実績の再調査(天明稼高)。この年、灘目三郷からの江戸入津量36万樽を数える
1789 寛政1年 幕府、酒造制限を布告
1794 寛政6年 酒造制限を解除し、全額醸造を認める
1799 寛政11年 季節に応じて新酒(しんしゅ)・間酒(あいしゅ)・寒前酒(かんまえざけ)・寒酒(かんしゅ)・春酒(はるざけ)などの酒造りが行われる(「日本山海名産図会」)
1802 享和2年 幕府、出水により米価の騰貴を理由に酒造高半減を布告
1806 文化1年 米価下直につき造酒制限を解き勝手造りを許可
1822 文政5年 灘三郷の江戸入津量、江戸中期以降、最高66万5000樽、22万3000石
1840 天保11年 山邑(やまむら)太左衛門、宮水を発見(天保8年説もあり)
1871 明治4年
清酒(日本酒)・濁酒醸造鑑札収与と収税方法規則を公布
1872 明治5年 墺国博覧会へ出品のため、日本酒初めて海外へ輸出
1875 明治8年 旧幕時代からの諸雑税を廃止し、酒類税則などを定める。営業税、醸造税の二本建てとなる
1878 明治11年 びん詰め日本酒初めて売り出される
1880 明治13年 酒造免許税、酒類造石税とし酒類を醸造酒・蒸留酒・再製酒に分けて課税(酒造業者の増税反対起こる)
1882 明治15年 大阪府警、酒屋会議を禁止。淀川の舟中および京都で酒屋会議開催
1896 明治29年 酒造税法、営業法など公布。免許税を廃し営業税とし、日本酒の免許限石数を設ける
1899 明治32年 自家用酒税法の廃止、酒造組合規則制定
1901 明治34年 白鶴初めて一升ビン詰め発売
1902 明治35年 丹波杜氏組合が兵庫県篠山町において全国で初めて醸造法講習会を開催
1904 明治37年 大蔵省醸造試験所設立
1909 明治42年 嘉儀金一郎ら、山廃もとを開発
1910 明治43年 江田鎌治郎、速醸もとを考案
1911 明治44年 第一回全国新酒鑑評会開催(醸造試験所)
1933 昭和8年
堅型精米機現れる
1939 昭和14年 酒類の統制価格実施
1941 昭和16年 第二次世界大戦勃発
1943 昭和18年 酒類ごとに級別を設定。日本酒は第一級から第四級まで
1944 昭和19年 造石税を廃止し庫出税のみとなる
1962 昭和37年 酒類は十種類に分類され、日本酒の級別は特、一、二級となる
1973 昭和48年 防腐剤の使用禁止
1975 昭和50年 市販日本酒の製造年月、原材料、製造方法などの表示(酒造組合中央会「表示に関する自主規制基準」)
1978 昭和53年 日本酒造組合中央会、10月1日「日本酒の日」制定
1981 昭和56年 銀座に「日本酒センター」オープン、日本酒のPRにつとめる
1982 昭和57年 吟醸酒、生酒など大いに人気を呼ぶ
1989 平成1年
級別・従価税の廃止など。級別は廃止までの3年間は経過措置として二階級に税法改正
1990 平成2年 清酒の製法品質表示基準・未成年者の飲酒防止に関する表示基準制定
1992 平成4年 級別廃止
1998 平成10年5月末 日本酒センター(銀座)閉館
1998 平成10年10月1日 日本の酒情報館(西新橋)オープン
2003 平成15年10月31日 清酒の製法品質表示基準の一部改正

火入れ 1800 年代半ばになってパスツールが発見した“殺菌法”に先立ち、すでに室町時代(1400 年代)において、絞った清酒を貯蔵前に65 度程度に加熱、殺菌し、酵素の働きを止めて香味の熟成をはかる『火入れ』を行っていたという記録が残っています。
寒造り 一般に、日本酒は十一月頃から三月頃まで連続して仕込まれます。とりわけ“更に衣を重ねる”という如月(二月)は、寒気も一段と冴え、酒蔵はしんしんと冷え、酒造りにもっとも適しています。しぼりたての新酒のさわやかな味わいを賞味するには、最近では“初しぼり”とか“しぼりたて”とかいう名称を付けたびん詰品が、各地の蔵元から発売されるようになっています。
日本酒の日 中国古代の天文学、暦学から生まれた十二支は、本来、月のしるしで、日本では十二種の動物で表されている。十二支の10番目の酉は、「トリ」と読まれていますが、もともと、酉の字は壺の形を表わす象形文字で、酒を意味しています。
古くは一年の始まりは冬至に置いて、10番目の酉の月はいまの9月末から10月の頃にあたっている。そして新殻が収穫されて新酒が醸される月であったことを表しています。すなわち10月は古くから酒の月ということです。
いまでも10月は新殻が実る月であり、酒造りの始まる月であり、明治年間酒税法創設以来、10月から9月をもって酒造年度とされてきました。こうした歴史を受けて、酒造家の中では10月1日を「酒造元旦」として祝う風習が残っているところもあります。
豊かな自然の恵みと日本人の知恵の結晶が日本酒であるともいえます。10月は全国各地に海の幸、山の幸があふれ、日本酒が本当に旨くなる月で、この月の1日を、「日本酒の日」と定めました。





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